ひろしま鐵道見聞録

呉線沿線民の人が、広島の鉄道+αについて語ったり、撮影記を出したりするブログです。

広電荒手車庫見学

さて学校が始まりましたwww

いやぁめんどくさいですww

 

 

 

まあ学校はさておき、7月27日に行ってきた広島電鉄荒手車庫に見学に行った時の記事をさっさとやりましょうw

 

見学とは行っても車庫が一般公開されたわけでもなく、ただ単に個人的に行ってきただけです。

 

というのも、広電では車庫をいつでも見学できるのです。

 

いつでも、ですがやはり朝夕は車両の出庫で忙しいので暇な昼間に行きました。

 

 

 

 

というわけで広島に着いたところから突然始めます。

 

f:id:takumi-0628:20140727110157j:plain

 

ここで広電に乗り換えます。

 

すると・・・

 

f:id:takumi-0628:20140727111233j:plain

 

痛電車カープ電車が来ましたw 前面ラッピングですがもう3年もやってるので慣れてしまいましたw

 

 

 

そして車庫まで省略w(フォトライフの制限に対応するため&夏の遠征に対応するため)

 

 

 

 

 

 

・・・広電荒手車庫の最寄り駅商工センター入口」駅に着きました。に乗り換えることができますw

 

車庫にいた人に許可を貰い中へ入ります。

 

入場料はしっかり取られませんのでご安心くださいww

 

f:id:takumi-0628:20140727133446j:plain

こんなのなかなか撮れませんよ・・・

 

f:id:takumi-0628:20140727142151j:plain

まずは軽快ニートを・・・w

 

この荒手車庫には広電使う気がないけど一応置いている車両が奥の留置線にわらわらいますw

 

ちなみに概要は

3501A - 3501C - 3501Bの3車体と、編成両端の3501A・B車に装着された2台の動力台車、それに各車間に装着された2台の付随台車よりなる、3車体4台車構成の連接車である。

日本船舶振興会(現在の通称は日本財団)の資金援助の下で日本鉄道技術協会が開発した、「軽快電車」と呼ばれる新型路面電車の実証試験車として、1980年7月に3車体連接車1編成が川崎重工兵庫工場で完成した。

広島電鉄籍への入籍は同年8月で、同月6日の原爆忌広島電鉄線内での公式試運転を実施して市民へのお披露目が行われ、以後試験運転が繰り返されてデータ収集が行われ、同年12月21日より営業運転を開始した。

なお、本形式は3950形まで続いた、一連の宮島線直通3車体連接車シリーズの愛称である「ぐりーんらいなー」の名を冠した第1号である。

広島電鉄3500形電車 - Wikipedia

 

ちなみに行ったときは通電していました。

 

恐らく放置しすぎるとインバーターニートしてしまうのでしょうww

 

そして次の珍車は・・・

f:id:takumi-0628:20140727140752j:plain

2000形です。

 

・・・え?なんも変哲もない車両じゃん!って言ってるそこのアナタ!!

 

なんとですねこの車両、

f:id:takumi-0628:20140727134219j:plain

f:id:takumi-0628:20140727134216j:plain

f:id:takumi-0628:20140727134201j:plain

単車が2両永久連結されている連接車なんですよ!!(※通販ではないのでご安心ください)

 

概要は

1960年から1963年までに宮島線と市内線の直通車両として9両が製作された。

誕生当初は単行で運用され、直通灯もなく外装色も市内線と同じ色だったので、前回作られた850形と比較して、モーター出力の強化、前照灯が埋め込み式1灯から外付け1灯に変更された、車掌台の窓が横引き式に変更及び表示幕が追加された程度で、外観の違いは少なかった。

1次型の2001-2003と2次型の2004-2009の違いは、1次型はナニワ工機製のため床敷物がビニールとなっており、2次型は自社工場製のため床敷物が木製と仕様が異なっていた。

550形から続いていた、電光式のアクリル看板も1両につき4つ付けられた。運用末期頃には、側面の電照式広告はほとんど入っておらず、一部を除いて白いアクリル板が取り付けられている。また広告が入っていた場合でも、現在では照明を点灯することはなくなっていた。

1962年に直通運用が始まった時に、外装色をオリエントピーチという淡いピンク色の地に濃いピンク色の帯が入った直通色に変更、1967年に直通表示灯を追加した。

輸送力強化のため1974年に、2002-2009は2両編成化され永久連結化を行った。連結部分は危険防止のための扉が付けられ、安全のために扉は施錠することができた(その場合、貫通路上の「通行禁止」のランプが点灯する)。その時に1両余る形となって改造されなかった2001はしばらく単行で使われたが、その後事業用車になり、さらに台車に亀裂が見つかったことで長期にわたり休車状態になった。そして2003年に除籍・解体された。

連結改造された2002-2009は、1981年から1984年にかけて三菱電機の直流交流変換駆動方式(三菱MDA方式)CU77A集中型(21,000kcal/h×1)で冷房改造され、1985年前照灯移動と方向幕の大型化で市内線車両と表情が変わっていった。

連結化改造された車両は2000年代まで全車残っていたが、PASPY導入の際、当形式のみICカードリーダーの取り付けがされず、2009年10月17日以降の営業運用は不可能になり、広島電鉄ホームページのPASPY導入の広報と同時に当形式の営業運行休止が記載された。

最初から宮島線への直通を前提として作られたため、3100形ともどもつりかけ駆動路面電車としては珍しい電気制動を常用する仕組みとなっており、制動時に独特の音を発していた。

広島電鉄2000形電車 - Wikipedia

 

無理矢理2両に改造した結果がこれだよwww

 

f:id:takumi-0628:20140727133827j:plain

つぎは広電初の低床車の5000形ですがなにか破壊されてますねw

 

この車両は事故車ではありません。深刻な故障をした5007号車ですww

 

現在は部品取り車両として置かれてます。だからこんな状態ににwww

 

f:id:takumi-0628:20140727143041j:plain

5007Bは台車がありませんwwww

 

f:id:takumi-0628:20140727140316j:plain

続いてはこの車両。

3100形です。

 

たまに運用に入ってますがほとんどここで寝てますww

 

概要・・・2500形から改造

3車体連接編成化は1985年(昭和60年)から翌1986年(昭和61年)にかけて大阪車輌工業において施工され、改造後は3100形と改称・改番された。車番は西日本鉄道から譲り受けた1300形電車より採用された、1編成全車を同一の車番とし、車番末尾にA・B(先頭車)およびC(中間車)の記号を付与して区分する方式に改められた。

広島電鉄2500形電車 - Wikipedia

 

f:id:takumi-0628:20140727145139j:plain

こうして色々撮っているうちに時間がきたので出ることに。

 

f:id:takumi-0628:20140727145413j:plain

 車庫にいた人にお礼を言い、JR新井口駅の向かいにあるアルパークの映画館へ

 

前日と同じくももクロのライブ・ビューイングに行くw

 

~夜~

 

いやぁ楽しかったですよww

 

でも次のももくり(知らない人はググってくださいw)がさいたまスーパーアリーナって完全に☆関☆東☆優☆遇☆・・・orz

 

そしてこの2日後にはついに青春18きっぷの旅第一弾、岡山遠征行きました。

 

というわけで次回からは青春18きっぷの遠征の記事です。

 

では

f:id:takumi-0628:20140830201454j:plain

ご観覧有難う御座いました。

 

以上

 

 

いつも当ブログをご覧頂き、有難うございます。